真の神とは?

 

 

神について思うことをいろいろ(自分勝手に)語っていますが

そもそも、真の神、

本当の神様ってなんなんでしょう・・・?

 

 

日本の神々には系譜があり

俗にいう、今の天皇家に続くアマテラスを頂いた天孫系と

天孫系の神々が統治するまで日本にもともと住まう神々の出雲系

 

しかし更に遡れば、諏訪のミジャグジ様など地方地方の神々

 

その前には琉球やアイヌに残る伝説の神々。

 

更にもっと遡れば、太陽や山や岩が神となるのでしょう。

 

 

私は、「本当の神」を求めて

そんな風に遡ってきたように思います。

徳川家が祀るような大きな神社の裏手の山には

奥宮があり

そこに祀られている龍神さまこそ

本当の神ではないのか・・・?

 

といったふうに。

 

 

実際去年末に訪れた出雲では

ご神木に宿る神や泉を守る神などを

感じ取れたように思います。

 

 

しかし本当の神とは?

 

一見、木や岩や太陽の神こそ

真の神のように感じます、が。

 

冷静に考えてみて

化学記号で表せるようなその物質を、

「神」だと私は本当に考えているのか?

 

いえ、太陽も山も物質です。

 

宗教的に考えて、それらを神と呼ぶかどうかは

別の話ですが、

今の現代科学をもってして解明されている段階でしかありませんが、

理科の授業で太陽について習うときに

「いえ、それは水素を核とした恒星ではなく、神です」

と言い切れるか?

 

私はむしろ、物質であることを信じていると言えます。

 

 

では、人の姿をした

天照大御神や大国主命こそ、神と呼べるのか?

 

仮にそういう実在の人物がいて神格化されたとして

(現代の神社にもたくさんのそういう例がありますね。)

 

ではそれは神でしょうか?

 

いえ、人間ですよね。

 

 

では、人間ではなかったとします。

人間は神が創りたもうたものですから。

 

では、「神」という宇宙人なのかちがう次元の生き物なのかがいて

彼らはそういう類のものなのでしょうか?

その「何か」が今の天皇家に続く血筋ということになりますが

天皇は神なのでしょうか?

概念ではなく、「人間」とは違う存在?

願いを叶えたり天変地異を司る?

 

 

 

「神」という生き物が、いない限り

(ちなみに生き神様、というのもありますが、

それはあくまでも人間を神として崇める場合で

人間以外の違う生命ではないですよね)

 

「神」は天孫系なのか出雲系なのか

八百万の神々なのか太陽なのか星なのか

 

それを探ること自体、なにか違うものに感じてきてしまったのです。


 

 

 

 

出雲の神迎えの神事で

しかし私は神を見ます。

 

 

それはあたりまえで誰もが知っていることであり

 

けれど

なかなか気づけないこと・・・

 

 

 

神は

人の中にいるんですね。

 

祈り

願い

讃え

畏れ

 

神という実在の手で触れられる生き物の存在は、無い。

 

けれど

 

神は、確かに在る。

 

人がいる限り。

人が信じる限り。

人がすがる限り。

 

 

神様という生き物なんかいない。

あの神社という入れ物に、何か生き物がいると

本当に思っている人はいない。

 

けれど。

 

そこに神の存在を感じた瞬間に

 

神に向かって願う=誓った瞬間に

 

神はそこに生まれます。

 

 

 

神社はたいてい鏡がご神体となっていますが

ご神体である鏡に映るのは自分自身。

 

自分自身に祈り、誓うわけです。

 

 

 

人間がひとりもいなくなったとき・・・

 

神もまたいなくなります。

 

 

一生のうち、一度も心の中で

神に助けを求めたことのない人がいるでしょうか?

・・・つまりは

人間がいるうちは神は 在る のです。

それは絶対に。

 

 

言葉にすると難しいですね。

 

 

私はそのことに気づいてから

 

今まで作品にすることはめったになかった人間を描くようになりました。

 

それまで私は人を描くのは嫌いでした。

 

心の底で

人は神と対極にあるような存在で

穢れて汚いもののように感じていたのです。

 

宗教画のように人間の姿をした神と名付けたものに

祈るという違和感。

 

 

けれど

 

人の中にこそ神は宿っているのです。

 

 

 

出雲に旅したときに

パワースポットと言われる場所をいくつかまわりましたが

 

信仰も知識もなにもない若い女の子たちが

恋愛祈願であつまるような場所に

 

しかし

暖かな視線を送りパワーを送る神の存在を

私は確かに感じました。

 

 

素戔嗚尊や

櫛稲田姫を祀る神社に

私はその姿を感じました。

 

それまでなら

人が創りだしただろうその人型をした姿は

真の神とは思えず

 

もっと根源にある

太陽や海、月の神のことを思ったでしょう。

 

けれど

人々の祈りや思いは

 

その人型をした姿の「何か」に向けられているのです。

 

人々が思い描くものが神だとしたら

私が人型の何かを感じるのも自然なことに思えました。

 

 

 

 

神に祈るとき

なにか「物質」に願をかけてしまいがちですが

 

その先にある

自分の心に、否定してもしても浮かんでくる

すがってしまう、信じてしまう「それ」の存在。

 

それがある限り

私たちは、実は願いを叶えられます。

 

叶えているのは自分自身なのですが

「それ」(神、と呼ぶのが自然かもしれません)が

叶えてくれるだろう、と信じた瞬間から

 

自分だけで実現しようと思う何倍もの力を得ます。

 

その事実こそが

神の存在なわけです。

 

 

わかりにくいですよね。

もっと上手に語れたら、書き直したいと思います。

 


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