正しい神社参りのしかた 

 

 

知っているようで案外知らない

神社の正しいお参りの仕方をご紹介します。

まるでお作法のようでうるさく思われるかも知れませんが、

ひとつひとつの動作には意味があります。

 

 

 

神社はそもそも自分の心の穢れ(気枯れ)を払い

本来の自分に立ち戻る場所。

そのための小さな儀式のようなものです。

 

 

物理的にやるべきことと、精神的にすべきことを

両方盛り込んでご紹介します。

 

 

まずは鳥居をくぐります。

ご存知の方も多いと思いますが、ここで一礼します。

 

鳥居は現世と、神域の境界。

そこから先は清浄な神の住まう場所。

 

私は鳥居をくぐるたびに

禊をしているような気持にもなっています。

 

鳥居は一の鳥居から三の鳥居、など

いくつかある場合が多いですが

その都度一礼します。

 

神社での礼は90度。

最敬礼という意味ではなく

 

神社では、縦、横 垂直、水平が

とても大事な要素なのです。

水平は大地を、垂直は雨を現し

豊作を祈るための思いが込められています。

 

なお、着帽の場合はここで帽子を脱ぎます。

かぶったままの人が驚くほど多いですが

参道の端を歩けばたいていは木陰なので

帽子は不要ですよね。

 

 

参道を歩きます。

玉砂利(でない神社さんもありますが)を踏むのもやはり

邪を離れる、祓いの一つなのです。

参道を歩くごとに穢れが払われます。

 

また参道は基本的に左通行です。

真ん中は神様の道。歩いてはいけません。

 

ちなみに伊勢神宮は右側通行。

これは、社から遠い方を歩くことで

不遜のないようにするという意味があるそうです。

 

 

手水舎で禊をします。

ひしゃくで水を救い、左手、右手とすすぎ、

左手で水をとり口をすすぎます。

(ここで再度左手をすすぐよう促す神社もあります)

このとき、直接ひしゃくに口をつけてはいけません。

たまにそういう年配の男性を見かけますが・・・衛生的によろしくないですよね。

 

最後にひしゃくを縦にして余った水で

絵の部分を洗い、元に戻します。

水を無駄にしないという意味もあります。

 

 

いよいよ最後の鳥居をくぐり、社へ。

 

まずは鈴を鳴らします。

これは、神様に自分が来たことを知らせる意味もあるそうですが、

鈴の音は魔を払うので魔除けの意味もあります。

 

巫女さんが鈴を持って巫女舞をしますが、

あの鈴も魔を払い

また神を降ろすための道具なのです。

 

お賽銭を入れます。

この時、お金を投げ入れては絶対にいけません。

ものすごくそういう方が多いのですが・・・。

大事なお金を投げたりしては

お金に嫌われてしまいますよね。

 

ちなみに、額はお志です。

ご縁があるから五円、というのは

円、という単位ができてからのダジャレのようなものです。

 

多く払えばその分願いが叶うわけではもちろんありません・・・が

 

お札を使うと効果が違うそうです。

その場合はポチ袋に入れて、住所氏名を書き添えます。

(お礼状が来るわけではありませんが(笑))

 

・・・実は

それをお聞きして

去年のお正月からお札をお賽銭にしています。

気の持ち様かもしれませんが、

確実に運気が変わりました。

 

気の持ち様でもいいと思います。

だって実際に効果があったと本人が感じ取れるわけですから。

 

それだけお金を使って願ったのですから

自然自分で努力して願いを叶えるようになるのがベースだと

本で読んだことがありますが、

私はお札をお賽銭したことなど全く忘れていました。

翌年のお正月、そういえば・・・と思い出し

一年を振り返ると

劇的に変化のある一年だった、という感じでした。

 

でも、いいんですよ、5円でも。

 

二礼します。90度です。

恥ずかしいような気が最初はしますが

かまわず深くお辞儀します。

気持ちがいいです。

 

右手を左手より1cmくらい下にずらして

二拍手します。

 

そして祈るのですが、

祈るときはずらした指を戻して左右揃えて合掌の状態にします。

 

 

まずは

自分の住所・氏名を心の中で述べます。

 

そして

今日お参りさせていただいたことに感謝します。

 

私は いいな、と思う神社さんでは

たいていこのときここちいい風が吹きます。

よく来たね、と言っていただけているような気持になります。

 

 

ここからが肝心。

自分の私利私欲を延々とお願いしますか?

私はそうでした。

そしてそういう人が多いと思います。

そういうものだと思っていると思います。

 

でも違います。

 

神社は願い事をどんどん唱えて

叶わなかったから他の神社にいこ~っと!

というようなアトラクションではありません。

 

自分の個人的な願いをお願いするのは

以前も書きましたが、産土神社・氏神さまに行くのがベストです。

 

誰もが知るような有名な神社さんは

国家の安泰のために祀られているのがほとんど。

 

ですからそこでは

日本の幸せ、ひいては世界の幸せなどをお願いするのがいいのです。

 

なんだ、つまらない??

 

でも世界中の人の幸せの中に、自分も含まれるわけですから

自分だけの幸せを祈るのと同じことです。

 

 

私は産土神社さん以外では

祓い給え、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え

という略式祝詞を三回唱えます。

 

そしてお礼を再度申し上げて終わり。

 

なんだ、それだけ、と思いますよね?

でもこの言葉

結局すべてを網羅している、と気づいたのです。

 

悪いものを祓っていただき、清めていただき、

守っていただき、幸せへと導いていただく

 

それは、何の願いだとしても当てはまる、と思いませんか?

 

産土様の場合は

このあとに個人的な願いを唱えますが、

これも本当は願いではなく自分の決心を断言するといいそうです。

 

「●●をしたいので、必ず成し遂げますのでお守りください」

 

というような感じです。

 

 

そのあとお参りさせていただいたお礼を申し上げ

一礼して下がります。

 

お参りするときは手に荷物をもったままではいけません。

荷物置き場のある神社さんも多いですし、

下に置いて両手があいた状態でお参りします。

(荷物の管理には注意しつつ!)

 

 

なお、おみくじを引く場合は

祈るときに、

●●について知りたいのでお言葉をください

 

とお願いしておきます。

 

ひいたおみくじで一番大事なのは

和歌のような部分です。

大吉や凶などは意味はあるものの気にしなくてもいい物です。

また神社によって、順序も違うのです。(中吉が上だったり吉が上だったり)

 

その他にそれぞれの項目がありますが、

お言葉をくださいとお願いした項目だけを読みます。

あとの項目は気にしなくてもいいのです。

 

ちなみにひいた結果が厳しいものでも

すぐに木に結ぶのは、本当は神様の言葉を否定する、という意味になります。

 

 

悪い結果のおみくじを持っていると悪いことが起きるというわけでは

けしてありません。

 

むしろ、厳しい言葉を教訓にして

災いを避けることが、私はできてきましたので

本当にありがたいと思っています。

 

 

持ち帰ったおみくじは、

教訓のためにいつも見れるようにしておくといいのです。

私はお財布に入れていますが、

日記などに貼りつけておくといいそうです。

 

あとで振り返ると、「おみくじの言うとおりになったな」とか

「おみくじのおかげで回避できた」などが

よくわかっておもしろいようです。

 

もう不要になったら普通に捨ててかまいません。

どうしても気になるなら

神社でお焚き上げしてもらいましょう。

不要お守りなどを入れるコーナーに入れて

手間代を少しお賽銭すればいいと思います。

 

が、基本おみくじはお守りとは違いますので

捨ててしまって問題ないものだそうです。

 

 

 

あとは鳥居を出るときも

社に向かって一礼しつつ、出ます。

 

 

神社ではさっとお参りしておみくじを引くだけでなく、

ご神木などからパワーをいただけるので

できるだけ長くいて、空を見たり、

木に触れたり(木が痛まないよう留意して)してみましょう。

 

 

 

 

これで一連の流れは終わりですが、

 

さて

 

あなたが今お参りした神社さんは、

どの神様をお祀りしたものですか?

 

それも知らずに

自分の私利私欲だけをどんどん願って

お礼もせずに出ていく。

 

神社が願いを叶えるものだと仮にしても、

それで願いが叶う、と思いますか・・・?

 

誰にお願いしたかも知らずに

縁結びに効くからという噂だけでお参りをする・・・

叶ってもお礼ににもいかない。

叶わないと、効かなかったといって他の神社に行く・・・

 

ここであまりくどくどと書き連ねるのも小うるさいですが(笑)

最低の礼儀をわきまえもせずに

願いだけ叶えて、という気持ちで

本当にあなたの大事な夢が叶うでしょうか?

 

友だちにお願い事をするときでさえ

もう少し丁寧にお願いしますよね。

 

 

 

私はその神様が何の神様かを

下調べしてからお伺いします。

 

それを知ることで自分と相性のいい神社さんを

割り出しやすかったりします。

面白いですよ。

 

 

また長くなりましたが(笑)

 

大事なのはもちろん形式ではありません。

 

神をうやまう気持ち、というのとも

無宗教の私にはピンときません。

 

自分の心が祓われ、いい気分になれればそれでいいのです。

新しい自分に生まれ変わったような気持になれれば

それでいいのです。

そのためには、

自然 凛とした態度でお参りする気持ちになるのだと思っています。

 

大胆に解釈すれば自己催眠の一環のようなものでしょうか(笑)

 

神社参りしたけど

全然叶わないじゃん、もうこの神社にはいかない

他を探そう

 

というような方(・・はこの記事を読んだりしてくださいませんが(笑))

 

お参りの意味や、しかたをもう一度考えてみて、

一度でいいのできちんとお参りしてみてください。

 

自分の中をクリアな風が抜けていくような

「祓われる」感覚に

気付かれることと思います。

 


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